安治
私の所に来る男達の中には
一夜だけの者だけではなく度々来る男達がいた
その中に安治 やすじという男がいた
安治さんは
ここの遊郭へ男客を運んでくる男だ
運び屋だ
運び屋は目的地へと客を運ぶ
目的地は遊郭だけじゃねえ
お望み在れば何処へだって
肉体を運ぶもの
そいつが運び屋っつうもんだ
安治さんは
いつも裾をたくし上げるように着物を着こなし
足が曝け出されていた
着物の衿から見える素肌は日に焼けていた
小僧と呼ばれているが
どうやらそれは
年齢が若いせいだけではなく
性格的なものから呼ばれているようだった
格子越しに彼の姿は幾度か見かけていた
右肩にかける籠を軽々と持ち上げていく
小柄な男だが肩から腕にかけては
しっかりとしていた
一度
格子越しに目と目が合ったことがある
外は砂埃が立ち上がっていた
気まぐれな春風が悪戯している様だった
この場所に迷い込んだ風に出口はない
ここに連れてこられた娘達と同じようだ
風が出てえと願うのならば
空へ舞い上がるしかない
内に居る私の視線と
外に居る男の視線が混ざり合った
砂埃が一瞬舞った先で動きをやめた
時が止まったかのように私には見えた
止まった時に抵抗するように
私は男から目を逸らした
悪戯な視線合わせは好まねえ
割に合わねえ
なのに
私は
元居た視線の場所へと再び視線を戻してしまった
男は視線を動かしていなかった
だから
砂埃を超えて
また目と目が合った
男の視線は
私との距離を真っすぐ
線引きしている様に伸びてくる
男の目は
私の全てを見抜いているようだった
着ているもんなんか 意味がない
肉体を通り越し
心の裏側さえ見られているようだった
見えないはずのねえ
月の裏っかわを見られているみてえだ
胸が一つ大きく打った
目が合った
ただそれだけだ
格子越しの男と女
外の世界に住む男と内の世界にしか住めねえ女
それだけでしかなか ねえんだ
ただそれだけなのに
なのに
男の瞳は私の頭から離れなかった
何したって離れねえ
落とした水滴の様に広がっちまう
「久子 お客だよ」
ある晩
娘に呼ばれ 私は腰を上げた
新しい客かいつもの客か
私は
軽く髪を整えお客のいる部屋へと出向いて行った
戸を叩く
中から声がした
「開けていい」
聞き覚えのない声だ
たどたどしい声は ここへ来るのは初めてだ
そう事前に
私へ伝えている様だった
新しい男客
私は跪き扉を開けた
そして
顔を上げると
そこに居たのは運び屋の男だった
格子越しに目を合わせたあの男
目と目が合う
格子のない視線合わせは
同じ場所に居る現実を突き付ける
偶然なのか
私と目が合った事を覚えていたのか
あの時の様に胸が一つ大きく打った
合わさったままの視線が続いた
男は恥ずかしそうに
私から視線を左へと泳がせた
慣れてねえ男だ
私は部屋へ入ると静かに扉を閉めた
「あんた 久子っていうの?」
男は聞いた
「ええ 久子と申します」
男は私の顔を眺めながら ふっと笑顔を見せた
「鼻のここ ほくろあんのな 前に見かけたとき見た」
自分の鼻を指して言った
私の顔にあるほくろの事を言っているのだ
前に見かけたときに見た
この男の言葉一つ一つに心が動かされてしまう
この男はいつから私を見ていたのだろう
どこから見ていたのだろう
顔の上にある ほくろなんて
今まで誰にも気づかれたことなんてない
気づいてもらったことなんてない
胸が勝手に一つ大きく打つ
男の言葉にいちいち 胸が動かされる
黙れと心の中でつぶやいた
「遊郭っつう所 こんなところなんだな 俺来たことねえから」
男はそう言うと
天井を見渡して どかっと畳の上に座り込んだ
豪快に座り込むことで 緊張を見せないようにしている気がした
「俺運び屋しててよ 客が‘お前 遊郭いったことあるか?’って聞いたから
‘行ったことねえ’って答えたらよ
お前みたいな小僧は一度くらい 門をくぐった方がいい
女一人くらい買ってみろ‘って銭くれた」
男は右の人差し指で鼻の頭をこすりながら笑った
子供っぽい笑い方だ
「銭持っている奴っていうのは 何すんか 分からねえものだな」
「もらったもの あなた こんなところで使ってしまって構わないの?」
私は本当か嘘か分からない話に対して尋ねた
男はかいたあぐらに両手を乗せて
「構わねえ」
そう言った
「一度遊郭っつうところへ来てみたかったんだ」
男は窓のない部屋を
物珍しそうに見渡した
私はほっとした
聞かなくて良かった
さっき本当は
「もらったもの あなた 私のために使ってしまって構わないの?」
そう
聞いてしまいそうになったからだ
私のために使ってしまって構わないの?
その中には本当に小さい 小さい何かがいつの間にか入り込んでいた
紛れもんだったけど
期待
ちっせえもんだったけど 期待っつうもんに変わりはしねえ
格子越しに見た私に
わざわざ会いに来たのかもしれない
そんな期待だった
違う
この男は商売女に会いに来たんだ
間違えちゃいけねえ
勘違いしちゃいけねえ
期待なんて持つもんじゃねえ
この男も遊郭で遊んでみたかっただけだ
たったそれだけの事だ
商売女で在る自分を思い出す
ここへ来る男は
私の体を知って常連になる者も居る
私は男に笑みをかけた
私を呼び寄せた男に見せる笑みだ
私は男にすっと近づいた
一瞬男が身構えたのが分かった 体が硬くなったのが見えた
この男一瞬怖気ついたな
私が優勢だ
身を前にかがめて
男の耳元で声をかけた
「つまんない話なんてしていたら 夜が明けちまうよ」
男の左耳へと私の左耳を重ねる
そして噛んでと言わんばかりに 首元を男の前へと差し出した
首元と首元が触れ合う
男の頸動脈の動きが私の首筋へと伝わる
唾を飲み込む音が聞こえたと同時に男は言った
「なあ 久ちゃんよ」
「俺 構わねえよ つまんねえ話で朝が来たって」
男は小さく言った
私はすかさず
「あなたの頂戴した 銭が無意味に消える」
そう言って笑うと
「本当だ 構わねえんだ」
男は言った
私は男から体を離した 男は私の方を見ない
男の顔は笑っていなかった
「あなたって変わり者 何もさせないままであなたを
お外へ戻すことは出来ないの」
私は男の頬を両手で包み込むと
私の顔の方へと向けさせた
男は恥ずかしそうに顔をそむけようとした
「ちゃんと こっち向いて」
私は両手で男の顔を私の方へと再び向けさせた
ようやく視線と視線がぶつかる
たかが
商売女の私と男客の視線の交わりのはずだった
ここ来る男達は
いつも商売女に向ける視線を持ってくる
商売女はいつだって
男より優勢的な視線を持っているものだ
挑発する
商売として線引きをしなければ 感情に飲み込まれちまうんだ
優勢的立場をとることで
私は感情を遊郭の女として保つことが出来るんだ
商売女として普通に在る事が出来る
でも
この男は何か違った
私に向けた視線の中には
私が今まで男達から見たことのない何かがあった
悲しいのか
肩を落としたのか がっかりしたのか
何か
大きな感情みたいなものが 存在している様に感じた
何かを恨んでいるのか
涙粒さえみえそうな瞳が揺らいだ
「あなたお名前は」
「安治 安心の安に治おさめると書いて やすじっていう」
「安治さんね」
私は微笑むと
安治さんの唇へと自分の唇を近づけた
後二センチばかりでぶつかるところで
「どうする?重ね合わせる?」
私は尋ねた
安治さんからの動きが見られなかったからだ
安治さんは無言で首を横に振った
お客の中には唇を重ね合わせることを嫌がる男もいる
そういった大切なことは
ここの女とはしないと決めている男もいる
外の女と遊郭の女は違うもの
同じ女であっても
違うもの
男は商売女には
外の女とは味わえないことをする 外の女にしないことを男は私にする
男は外の女に出来ないことを商売女にする
商売女にはしないことを
外の普通の女にする
男っつう者の中には
大切な女としか唇を合わせない男もいるもんだ
商売女に唇を差し出すものは少ねえもんだ
普通の女として大切にされることのねえ存在
そう自覚しねえと辛いことになる
唇の重ね合わせを
断られることには慣れっこだ
私は安治さんから唇を離した
安治さんの視線は遠ざかった私の唇から
私の体へと向いていった
硬直している体は
私を拒絶しようとしている様に見える
だけど
視線は私を欲しくてたまらない様に見える
私の体を捉えようと必死になっているのが分かる
思考と体が言うことを聞いてくれない
言葉と体が合致しない
拒絶と欲求がこの男をちぐはぐにさせている
ここに来る男達は
一時の快楽を得るために来る
普段出逢う女性に
出せない欲求をここで出す
女という自分とは異なる性から
感じる肉体的快感を得るために銭を使うのだ
そのために私達女はここに
存在している
男は快楽を金で買う 女は自由への道筋を体でつける
安治さんは何を求めて
ここに来たのだろう
安治さんは
私の着物の襟を勢いよく落とした
思わず私は露になった胸元を両手で隠した
何故隠したのか 分からない
初めてだった
安治さんに見られることが嫌だったんじゃない
見せるのが怖い
そう一瞬思った自分がいた
現れるはずのない感情が現れていた
安治さんは私の両手をどかした
そして
胸の中へ顔をうずめた
安治さんの熱い息が胸にかかる
さっきまで会話していた男とは違う男が居る
抑えきれない衝動が荒々しい動作として現れている
敷かれた布団の上に連れていかれ
安治さんは私を横たわらせた
両腕を掴むと
身動き取れなくなった私を見つめた
さっきまで
私の視線はあきらかに安治さんより優勢だった
でも今は違う
劣勢だ
私の視線は安治さんの視線に負けていた
この男の姿に負けそうになる
安治さんは私から目をそらさない
私は思わず 顔を右側へとそむけた
すかさず
安治さんは私の顔を自分の方へと向けさせた
この男は何か違う
怖い
私の足は小刻みに震えていた
どんなに力を入れても 冷静さを保とうとしても
震えが止まらなかった
どうか伝わりませんように強く願った
怖気ついたなんて
思われちまったら
私は黙って安治さんに身を委ねた
今までいた商売女はどこへいった
不器用になる
体が上手く動かなくなっていた 思考と体が合致しない。
いつもの私で居られなくなっていた
今までいた
強気の私はどこへ行った
今までいたはずの
弱弱しい男はどこへ行った
この男はまるで さっきまでの私のようなだ
今の私はまるで
さっきのこの男の様だ
「痛くないか?」
安治さんは私に聞きながら
私の中へ指先をゆっくり入れる
私は首を振る
閉じていた唇から声が漏れる
その声を聞いて安治さんは動きを止めた
「痛いの?」
安治さんは私に聞いた
痛いのか
何故 そんな無粋な事を聞くのか
「ううん 痛くない」
私は安治さんの首に腕を絡み付けた
「違う 気持ちがいいの」
安治さんは動きを止めたままだった
私は安治さんの右手を握って自分の場所へと持って行った
「そのままでしてて」
私がそう言うと
右手の指を再び私の中へと入れた
再び私の声が漏れる
安治さんは
私の手を自分のものへと持っていき
私に自分のものを握らせた
「手でして」
安治さんは私の中には入らなかった
ここは遊郭だ
子供の遊び場じゃねえ
馬鹿馬鹿しい
まったくもって
馬鹿馬鹿しい
心の中で繰り返していた
だけど
こんな男は初めてだった
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