私の居る場所

私の居るこの場所は

連なる横に長い作りになっている屋敷だ


大きな道に沿って連なっている


木蓮格子からは

容易に中を覗き込めるようになっているため

通りゆく人々と目が合う事もある 人々の声は容易く格子を超えてくる

馬車が駆ければ砂埃も細かな砂利も

許可なくこの部屋へ入りこんでくる


「容赦ねえ」

私は袖元で軽く口元を覆う

「ねっちゃん 砂埃吸った?」

私の様子を見た尊子が尋ねる

尊子は私より少しばかり歳が下だ


ねっちゃん


そう呼ぶ彼女は随分この場所にも慣れたもんだ


「慣れたもの 砂埃なんて」

そう答える私に尊子は無言で笑みを見せた

他愛のない会話だ

いつもの掛け声のつもり

確認するように言ってみせる言葉


尊子は一年程前にこの場所に来た

撫で肩を更に小さくすぼめ

この場所の門を潜ってきた

後ろには大柄な男 二人がついていた


そう彼女は

連れて来られた娘だ


私は彼女の横顔を見つめながら 当時の事を思い出していた


ここの門の背は高く

連れられて来た娘を虫けらのように小さく見せる


踏みつぶせそうな

存在の無いような娘は胸の前に両手を当てている

今来た娘


「来たよ」

一人の女が甲高い声を上げて 周りの女達に呼びかけた

女達は一斉に格子に近づき外を眺めた。


「新参娘だ。」


女達は今連れてこられた新参娘を

一目見ようと格子に張り付いた


中には

惨めさに震える同類の姿をあざ笑いたくてたまらないものもいる

待ち構えている女達が視線を投げかける


髪を乱しながら入門を拒否する姿を見たい

これまでに見た事の無い様な最大限の惨めな姿を見てみたい


木蓮格子に張り付く女達を私はずっと後ろの方から眺めていた

彼女達の多くが持つ

そんな底意地の悪い願望の隅っこには、

自分の過去の姿を追いかけ

消し去ろうとしている哀れさがあるのだ


過去感じた自分の惨めさを他の女に投影し

あざ笑う事であの頃の自分の

更なる下として見る


それが慰めになる


過去の自分を守るために 誰かを嘲笑う

私は格子の升目から門を潜ろうとしている娘を見ていた


新参娘は門の前に立った


この娘にはまだ確定した覚悟は座っていない

だけれど戻る意思はない


狭間で娘の胸ははじけ散りそうなはずだ

私は壁に身をよりかけて眺めていた

斜めに傾いた太陽が彼女の顔を照らし出す


あの娘は

涙を落とすのか


まだ幼さの残る彼女の頬は突っ張るように赤かった

落ちようとする陽光のせいじゃない

手入れの届かない頬はまだ

女として扱われたことのない証拠なのだ

私には彼女の閉じた口元から

歯の合わさる音が聴こえてくるように思えた


葛藤は時に舌をかみちぎりたくもさせる


娘は下を向いた


泣くのか

涙を落とすのか


格子越しの女達は黙った


娘は一つ静かに瞳を閉じた

そして、顎を上げると同時に瞳を開けた

橙色した陽光は娘の小さな肩と胸が大きな呼吸で持ちあがったのを見せた


こいつは

涙粒なんて落とさねえ


私は感じた

顔を上げた娘の顔は

既に覚悟を決めた女の質を含んでいたからだ


真っ直ぐと先を見据えた瞳には

さっき私が見たあの新参者の面影がなくなっていた


驚かされる


ここに来る娘には 時折心底驚かされるものだ


ある地点に着いたら一瞬で切り変わる


葛藤を手放し覚悟を決めた娘っ子は

まだ遠い先に孵化するはずの女の卵の殻を自ら割る


門を潜った娘の右足は、遂にこの地を踏んだ


「あーあ、つまんねえ」

誰かが気だるそうに口にした

「泣き叫ばねえ、つまんねえ」

「見てるだけ損だった」

女たちは口々に不満を言いだした

ただその響きは

不思議と安堵を耳に残すようだった


過去の自分を見ないで済む

哀れな姿を本当は誰も見たくないのかもしれない


分からねえけど

そんな風に感じた


裏腹っていうもんかもしれねえな


娘は後ろを歩く男達を差し置いて

一人先へと歩んでいった


緩やかなはずの撫で肩が

一生懸命娘の存在を大きく見せようとしている


味方がおめえの両肩だけだなんてな


肩幅程度の防御だって

あの娘にとっては

何よりも心強いもんなんだ


私は心の中で思った


娘は颯爽と歩く

まるで何事もないかのように

何事も

悪いことは起きていない様に


ああ、あの娘は腹を括った


残された

生きるための選択を今その小さな胸で決めたんだ

この門を超えた女にしか分かれねえと思うが

生きるための選択は

自分自身を被害者と見る哀れみを捨て

無い誇りを持つことで得られるもんだ


足元の薄っぺらな草履が

一歩踏み出す度に娘を女にしようと後押ししている様に見える


他にも

味方がいるじゃねえか



女になるんだ


私は寄りかけていた身を壁から離した

襟元がせかす様に私の肩から 少し滑り落ちる


黙って部屋を出ようとする私に誰かが言った

「あんたまた、あんな田舎娘目かけてやんのやあ?」

癖のあるしゃべり方だな

全くあの女は


私は声に答えなかった

「好き者でしかねえやあ」

あきれた声が空々しく聞こえてくる

頷きもしない

私はあの娘を助けるつもりは微塵もない

ここで何か出来る事なんて私には無い


ただ

この地を踏んだものなら

同じ血が流れてるも同然だ

同じ思いを通り抜けてきた者


想いを持たずとして産道から生まれ来る赤ん坊とは訳が違う


生かされるか

死をみるか

同じ感情を通り抜けてきた者同士だ


同じなんだ


そうなんだ

あの娘の姿はいつしかの私の姿なんだ

私はこの地へ数え十二の時に来た

後二日で十三になる時だった

私には四つ離れている妹が居た

八つだった妹をここから来た者は欲しがった

女衒が娘を貰いに来るのは

一つの用立てにしか過ぎない


娘を貰うにあらず

物を貰うに等しい


心ある男も居れば心が肉体からか抜け落ちている男もいる

心が遊離しているくらいなら

まだ

かわいいもんだ

貰われてくる娘が若ければ若いほど育てようがある

若ければ若いほど男客は喜ぶ


賭けるものが歳の差で変わってくるのだ

好きなように幼子から女へと変える事が出来る

そして

幼ければそれだけ稼ぎ年を持てるのだ

女衒を前に事のつかめない妹は

不安げな瞳を潤ませて

お父とお母の後ろに隠れている

頭を下げるお父が見えた

お母も続いて頭を床にこすりつけている


‘どうか、どうか’

そう言葉を続けていた

終わらない言葉のやり取りは永遠かの様に続いている

女衒は譲らねえ


半ば強引に妹を連れて行こうとするだろう

お父とお母の言葉なんて

こいつらには何の意味をもなさねえ


私はふすまを開けた

そこに居る女衒者の視線が私へと集まった


お父お母が慌てて

私をあっちへ行けと右腕を大きく振り上げ

下がるように

慌てる


訪ねてきた男達が

私を欲しがっていないことは分かっている


私は求められていないのは分かっている


こいつらが欲しい娘は、八つ年の

この妹だ


男達は私の姿に目を向け続けた

首を右に傾げ右の親指で自分の顎をゆっくりと撫でた


首の向きを変えながら 舐める様に私を眺め

見定めているのが分かった 


価値を見極める


私はお父とお母の静止を聞くことなく

男達の前へと歩み寄り膝をついた


床の間に頭を付け土下座した

「殿方様

どうか

私の身を持って行ってやってください

どうかこの身を使ってやってください

貴方様方の悪い様にはさせません

お約束いたします。」


一人の男が私の元へ近づいてきた

そして

片膝をつくと

私の顎を乱暴に右手で持ちあげた

その扱いに私の閉じた唇が開く

左手を私の頭に添えて

左へ顔を動かして眺める

そして

右へ顔を動かし眺める

私は視線を合わせない様男の動きに目線を合わせた


下から上へ這う様な視線で私を品定めする

「悪いもんじゃねえ」

男達は私から手を離し言った

心臓が跳ねた

自分らしくない 似合わないことをしているからだ

跳ねた心臓の音が聞こえていないことを願った

私は再び顔を床の間に付けるように頭を下げた

お父とお母の目から雨粒が落ちていませんように


私は床の間に呟き願いを託した

「行くぞ」

その声を聞くと

私の唇から跳ねた心臓の名残が空気として出て行った


床間は曇った


男達の声と共に私は立ち上がった

別れを惜しむ時間なんて私にはない


跳ねる心臓につられている時間なんてない


感情も鼓動も黙ってくれ

私はもう私のものではない

誰かさんのもんだ

この身が存在する限り

私は誰かのものであって

私という自由を持てることはない


女が自分の身を捨てる事は

男が自分の腹を裂く 切腹と同等だ


私は黙って男達について行った

土間の扉が開かれた時冷たい風が入ってきた


泣いた妹が私の足にしがみついてきた

冷たい指が私の手を握る

この手を忘れない

私を求めたこの手を私は忘れない

小さく握り返し


すばやく振りほどく


お父とお母の姿は見ないことにした

振り向かない

焼き付ける私の姿を涙降らしで曇らせたくない


震えて

肩を揺らす後ろ姿なんて焼き付けるもんじゃない


そんな親不孝あるもんか


振り返らずに私は扉の外へ出た

別れの言葉は言わなかった


また

会えるなんて

希望の言葉も吐かなかった


そんな嘘っぱちいずれ自分を苦しめる

そんな空々しいもんは 

お父 お母を追い詰めるだけだ


静かに扉は閉められた

入り込む場所を失った風が私のおくれ毛を持て遊ぶ


寒いな


今宵は特に寒い


頬の赤切れは風に触れられるのを酷く嫌がっていた

それなのに

足元にまとわりつく風が私を安心させた


行かないでとも聞こえてくる

行けと急かされている様にも聞こえてくる


おかげで

気が紛れたわ


乾いた眼球からは雫は落ち行かなかった


もし落ちて行こうものが在ったのならば

私はきっと

この男達について行くことを選択することは出来なかっただろう


やるなら最後までやり切れ

出来ないなら手を付けるな


手を付けたなら最後までやり切れ

あんたなら出来る

久子

あんたなら出来る


私は道中

この言葉を何度も自分の中で繰り返していた


上等な門に見えた

ここを潜ると私は

私を捨てる事になる


うろついている女衒が

面白がるように私の背を門の中へと押し出した


「女衒が触る体じゃねえ」

私は振り向き言った

十二の娘っ子の声に男達は動きを止めた


木蓮格子から女達の声が聞こえてくる

私は一人門を潜った

誰の手なんてない 笑い声なんて気にしない 助けなんて必要ない


そんなもん

望みやしねえ


期待なんて

置いてけぼりだ


ここで別れだ

今までの私


神は信じるたちじゃねえ

だけどこの時ばかりは申し訳ないが縋らせてもらう

私のためだけに、神を使わせてもらう

この身は神の眷属だ

行きつく先は神の仕業だ


自分の胸に杭を打ち込むように言い聞かせた

無い様に存在する神だけが

今の私が持つ唯一の逃げ場だった


地獄に入る覚悟を神の場所へと置き換えて

信じ込む


じゃなきゃ


体は言うことを聞かねえ

精神は戻りたがる


肉体と精神を言いくるめ

うまい具合にだましながら

私はここの女へと入り込んだのだ





撫で肩で門を潜った

あの娘は楼主の女の前で土下座をしている


ことごとく身を低くした娘は更に小さく見える

赤い紅を引いた女が口を開く

「名は何という?」

「尊子と申します」

娘は顔を床に伏せたまま応えた


「顔をあげて、あんたさんの顔見せてみな」


娘は顔を上げた

一同の視線が上げられた彼女の顔へ向けられる

娘は一瞬

ひるんだ


怖気づく


「泥の着いた芋っこい娘だな。」

「洗ってやれば白くなる。」

男達は馬鹿にする

肩を揺らして笑う


娘の眉が下がった

視線は下へ落とされた


赤い紅引きの女は

そんな娘の様子を黙って見つめた

そして、

煙の様に緩やかに男たちの方へと振り返ると

赤い唇に人差し指を添えた。

「しー」

肩を揺らしていた男達は黙った


これは女というものだ

本物の女は男を黙らす‘何か’を持っている

言葉じゃない 態度じゃない 醸し出す雰囲気が男を黙らす 

煙の様な仕草を見せ跡形も残さないもんだ


男っつう生き物は掴めない煙だと知りながら掴もうと必死になる

掴めねえから掴みたくなる

煙女は男を巻いて

曖昧さの中落とし切る

中途半端にじゃねえ

とことん落としきるんだ


本物の女にやられる男には

何にも残んねえもんだ


黙った男達を見ると満足げに赤紅が笑みを描いた


女は娘へと視線を戻した

視線は娘を捕らえて離さない


「良くお聞き

あんたは もうあんたじゃない ここであんたは

あんたではなく生きて行くことになる

その身を守る事がその身を上手に扱うことだ」

尊子は女の言葉を聞くと顔を床へと付けた

小さな背中が小刻みに震えている


女は私に目配せをした

目配せは流れる清流の様だ


気づかなければ気づけねえ


私は尊子の傍に膝をついた

そして床に張り付けている彼女の顔に近付いた

「部屋へ連れて行き」

女は私に言った

私は尊子の腕を掴んだ

肉の感触がない 細い腕は力を入れてしまうと 女の私にでさえ折る事が可能に思えた

扱いを間違えてはいけない

まだ出来上がっていない


壊れ物だ


尊子は私の力添えで

何とか立ち上がった

震えている肩はもう限界に見える


ここに居る男連中に

この娘の涙は見せやしねえ


私は彼女と共に 静かに部屋から出た

一つ頭を下げふすまを閉じた


冷たい廊下を歩く

私は掴んでいた腕を離した

その瞬間

限界を超えた彼女は涙と共にしゃくりあげた


怖かったのだろうな

私は自分の歯を食いしばった


尊子は暴れ出した

タガが外れた

なだめる私の手を退かそうとする


ここへ来る娘皆そうだ

こんな娘の姿を何度見てきた事だろう


封を切ったように暴れ出す


安堵というものはそういうものだ

不安と安堵の極限を行き来した反動というものは

そういうものだ


暴れる尊子の腕を左手で押さえつけ

私の右腕を尊子の口の中に突っ込む


声に出来なくなった叫びは

行き場を失い私の腕に食らいつく


声として現わすことを許されなかった恐怖は

力任せに私の右腕に食らいつく


幾度私は娘達の

叫びをこの右ひじで止めたのだろう


本気を出した女は娘であっても

持ち得る出来る限りの凶暴さを曝け出す

極限を見たものと言うものは


そういうものだ


私は尊子の耳元に近付いた

そして小声で伝える


「聞け 好きなだけ噛め 

だけど 声を上げて泣くな 誰にも気づかれるな

あんたの涙をこんな女郎小屋の廊下に落とすな

女衒野郎に見せるな

違う涙に変わるまで落とすんじゃねえ。」


男達に見せる姿じゃない。

見せてたまるか


「必死に我慢してきたそ貴重な涙を

こんな冷めた汚ねえ 廊下に落とすな」


食い込んでいた歯は徐々に私の右腕から離れた

小さく息が漏れる


犬っころみてえだ

いつだってそう思う

まるで人間に罰を与えられた犬っころのようだ

敵か味方か

この犬っころは目を見開いて私を見た


「拭いてやる

あんたの涙は私が拭いてやる だから 今は泣くな」


袖元で涙を拭いてやる

尊子は私の袖元に静かに黙って涙を落した

声を殺して

私の着物の袖元で泣いた

上手な娘だ


右腕の皮膚は剥がれているだろう

皮膚の下の白い肉が現れているだろう

いつものことだ

慣れたもんだ


でもな


娘っ子の極限を見ることには

いつまでたったって慣れやしねえ


「いい子だ 悪い様にはしねえ 」


尊子っつう名か


尊い子

尊くて尊くて たまらない子


きっとな

そう願われ名付けられたんだ

この娘は


尊子は落ち着きを取り戻した

「あんたの名にふさわしい様に振る舞うことだ

あんたの名を誇りに思う様に過ごす事だ」


私は尊子の頬を両手で包み

最後の涙を左手で拭った

尊子は瞳を閉じて小さく頷いた


尊子は私が今に至るまでに見た娘の中でも若かった

私の記憶の中に居る妹に見えた

私の記憶の中に居る一人の女の子と重なった


この娘

悪い様にはぜってえさせやしねえ

ぜってえに

悪い様にはしねえ


私は自分の中に誓った

Elysium

唯一無二の存在として 自身の資質を開く その時を迎えた女性へ 見えない世界 魂 霊体 想念 前世というもの 真の意味を 久子と共に書かせていただきます

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